執着しない

どーもごぶさたです。
2月と3月は何も書かないまま、月日が経ちました。
週一で更新が今年の目標だったのに、もう挫折。
怠け者には、少々きつい目標ではありました。
目標なんて立てないほうがうまくいくかもしれません。


これは2月に行った沖縄の海、桜


なぜこんなに期間が開いたかというと、
なんでかな。
たぶん心労のせいです。
原因は何かというと、活動が忙しくなってきた(やっとカウンターパートみたいな人が見つかって、いろいろはかどっている)のもあるけど、
一番の原因は、2月から3月にかけて計3回、泥棒に遭ってしまったことかな。

・・・ということで、2月に帰った京都、沖縄、アムステルダム、その他のガーナ生活、イースター、活動のことなど、記録しておきたいこともたくさんありますが、今日は泥棒被害について、3回分まとめてちょっと書いておきます。


1回目の被害は、日本に行く直前でした。

ガーナ人の友達Aに貸していたデジカメ、ipod、USBメモリを、その子の部屋が泥棒に入られたために持って行かれました。

Aは、大学の授業発表でカメラなどを使いたいということでした。
Aのことは信頼できるし大好きなので、日本から予備に持って来ていた分を貸していました。

いよいよ授業発表をやるという日、深夜2時頃。
大学寮の木のドアを、若い男4人組が鈍器でぶち壊し、PC3台、現金(学費を支払うタイミングだったので大金)、カメラ、スマホ、教科書、衣類等、Aの持ち物全部入ったバッグごと盗って行ったそうです。
同室者のPC4台等入ったバッグも同じように持って行かれて、二人とも物音に気づかずに眠ってしまっていたそうなのですが(気づけ!って感じですが)、4人組が出て行く時にやっと同室者が目覚めて、犯人達を目撃したそうです(すでに遅し)。
Aは深夜、泣きながら私に電話をしてきた後、警察に行って、自分達もまだ暗い街を走り回って探したそうですが、見つからず。
売れそうな物がぎっしり詰まったバッグだったので、電気屋さんとかに犯人が売りに来るかもしれないので、いちおう各店にお知らせしたそうです。

Aと同室者は複数のラップトップやいろんな物を持っているように見えて、狙われていたのかもしれませんが、それらは販売用も含まれていて、自分の物だけではなかったので、その商品分弁償しないといけません。

Aはその日大学の授業で発表もできなくて、せっかくの準備が台無しになったし、ほとんど全財産なくなったわけで、それを思うと私の間接的な被害って、大したデータも入ってなかったし、別にいいんですが、それでもとにかく、ものすごく悲しくて、Aと同室者と私が可哀想すぎて、ボロボロ泣きました。
泥棒がいることや、途上国の貧富の差。
貧乏なガーナ人学生でも、狙われることに。

ガーナにいる日本人の友達に電話して、「泥棒って、なんでいるの?」と泣きつきました。



2回目の被害は、3月初旬、ガーナ国内旅行の最中。
大きな街の、白人客だらけのホテルに泊まったときのこと。

朝、ホテルの部屋を出て街に行く時、持ち物をマーケットでスられたり落としたりしたらいけないと思って、貴重品とカメラだけ持って部屋に鍵をかけて出ました。
部屋には金庫がなくて、リュックの中のポーチ内に準・貴重品的な物を入れていました。鍵はフロントに預けました。
二人で泊まっていたので、友達のリュックも部屋に置いてありました。

部屋は広くてキレイだったのですが、残念なことに、室内電話が壊れててフロントにつながらなかったり、テレビの音声が出なかったり、タオルの枚数が少なかったりと、ガーナらしい不備な点がいっぱいだったので、私たちが留守の間に直しておいてよ、とフロントに伝えて出かけました。


そして。夜帰ってくると、部屋はキレイに片付いていたのですが、リュックの中のポーチが見つかりません。友達と一緒に夜中、そこらじゅう探しましたが、いくら探してもポーチだけがない。

そこには、貴重品である現金と仕事用の携帯よりも、もっとある意味貴重な、いろんな記念の指輪とか、ピアス(アムスで買ったばかりの)、日本から持って来たアクセサリー類(いざとなったら身代わりになってくれそうなプラチナのとか)、友達がくれたお守り、ガーナで買ったスマホ、抗マラリア薬、あと、家の鍵が入っていたのです!!きゃー。

信じられなかったし、心折れました。

ホテルのマネージャーに連絡して、セキュリティスタッフや掃除係、部屋を出入りした全員に会わせてもらって、問い詰めましたが、対応がとーってもスローで、らちがあきませんでした。謝らないし、日本人みたいに同情してくれるような態度もないし。
挙げ句の果てに、日曜で、マネージャーは調査の途中で教会に行っちゃいました。
私にはそれがもう逃げたようにしか見えず、
「ネットにホテルのレビューを書くよ。正直に、事実を書くから、多分悪いことしか書けないよ。サービスもマナーも、盗難事件後の対応も最悪だった。」とフロントに言いました。

言いたいことを言って、明日早いしもう帰ろうかという頃、やっとマネージャーから電話がありました。
「不快な思いをさせて申し訳ありません。私は従業員を信頼しているので、ホテル側に犯人がいるとは思っていませんが、盗られた物の見積もり金額を弁償します。」ときました。
クレーマーだと思ったのでしょう。そんな訳で、丸く収められてしまいました。

私、スキがあるように見えるんでしょうか。
日本で一度も泥棒に遭ったことがなかったために、免疫がないんでしょうか。
これまで海外・・・ハワイ、ベトナム、インドネシア、イタリア、フランス・・・寝台列車に乗った時でさえも泥棒に遭ったことがなかったのに、ここにきて、たまたま続いただけなんでしょうか。
ガーナは上記の国と比べて泥棒被害が多い国というわけではないし、アフリカでは比較的平和だと言われていますが、貧富の差は改善しないし、治安は少しずつ悪くなってきているかもしれません。
リュックのファスナーに鍵をかけるべきだったかもしれません。でも、そしたらリュックごと盗られてたかもしれない??そのほうが困ります。
友達のリュックにも鍵はかかってなかったし、PCとか入ってたけど、運良く何も盗られていませんでした。
持ち歩けば良かったのかというと、それを落としてたかもしれないし・・・
どうすればよかったかなんて、誰にも分からないですね。
でも、今度からはリュックのファスナーに鍵をかけて、そのリュックごとテーブルに固定する鍵をかけとくと安心なんでしょうね。
甘かったです。大事な物って、無くして初めて気付くんですね。

その夜は同僚の家に泊めてもらい、翌朝に大工を呼んで、家の鍵を壊して付け替えてもらいました。

疲れたし、悔しかったです。
でも、それ以上にものすごく楽しい旅だったのと、一緒に戦ってくれた友達の優しさが身に沁みたので、気にせずに早く忘れようと思いました。



さて。3回目。
今回は未遂だったので被害はなく、しかも犯人の一人が捕まりました!!

奴らが来たのは先週木曜日、明け方4時半。
寝ていると、なんか裏庭がガサガサゆってるなーと、うっすら音は聞こえていたんですが、
裏庭は畑になっていて、隣に住んでるお父さんがいつものように早朝の畑いじりをしてるんだろうなと思って、起きませんでした。

そしたら、隣からお父さんの怒鳴り声が聞こえてきて、誰かの走る音、もみ合う音が聞こえました。窓から外を覗くと、お父さんと息子さんと若くて小汚い男が何やら話していました。

それでもまだ呑気に寝ていたところ、隣の奥さんが来てドアを叩き、「アコシア(私のガーナ名)のうちの裏庭から若い男二人が入ろうとしてたよ。うちのお父さんと旦那がそのうちの一人を捕まえて警察に連れてった。前にアコシアの台所に入った奴と同じ奴かも。壁にワイヤーがあるから(11月に泥棒に入られてから壁の上に有刺鉄線を取り付けた)今回はよじ登ってこれなかったみたい。ワイヤー付けといて良かったね。」と教えてくれました。

そうか。裏の窓にも鉄格子付けといて良かったーと思いました。
ただ、その隣の空き部屋の窓には木枠が付いてるだけで、犯人はそこを壊そうとしたみたいなので、そこも鉄格子付けたほうがいいかな。

その後、犯人を捕まえて活躍してくれたお父さんと息子さんと警察に行きました。
11月以来、2回目の警察。留置所は排泄物の臭いが充満してるので、今回はお香が焚いてあり、なかなか工夫がされていました。

配属先スタッフに同席してもらって、犯人と対面して、調書を取って、11月の時の調書も引っ張り出してもらって、同一犯かどうか取り調べる様子も一部見学しました。
犯人はつじつまが合わないことばかり喋ってる感じがして、警察からは
「Mad man(精神障害者)の可能性があるから精神科にも行って調べる。もう一人はどこに行ったか分からないけど、アコシアの家の近所はパトロールしていくから。」と言われました。
ほんとにパトロールに来るかは分からないけど。



まあ、こんなとこです。
3回目のようなことが今後起こらないように、対策の一つとして、裏庭の畑の手入れをがんばっています。
草ボーボー、ゴミたまり放題にしておくんじゃなくて、きちんと手入れされた畑なら、人の目が行き届くと思うので。
実際、信頼できる人たちが朝や夕方に時々来て、草刈りや掃除を手伝ってくれているので、前よりも安心感が増しました。


泥棒に遭いまくったことで得た教訓は、本日のタイトル。
執着しない。
これまで、物は少ないほうだと思ってたんですが(旦那が聞いたら呆れるかなー)
物へのこだわりが強く、物欲のかたまりだったんだって気づきました。
大事な物が失くなって落ち込むのは、もう嫌になりました。

物に執着しないで、人にも執着しないで、いつも変化する波みたいな、自然のリズムを大切にするような生き方をしたいと思いました。
実は前からそう思っていたのが、ガーナに来たおかげで強まっています。